カカのけつのイボ

(新潟県、十日町市[旧中里村])

とんと昔があったと。
あるところに、独りもんのカカ(小母さん)がいた。
このヤゴメ婆サ(未亡人)が山へ仕事に行って、
小便がしたくなってしまった。
ほんで、そこらの薮へ入って、けつまくって、小便こいたと。

(次からは、文字で読む容易さを考えて、会話のみ、
注として方言を入れます。)

誰も見ていないと思ったが、
見ていた者がいた。
キツネのヤローがじいっと見ていて、
カカのお尻にイボがあるのを見た。

“あれ、イボが出来ているがね!
これは、いいものを見たな~。”

カカは、そんなこと・・・、
キツネにイボを見られたことなど、思いもかけなかった。

キツネ
キツネ
写真提供:旧大岡村誌自然編より(長野市)

翌朝、キツネは、カカの家にやってきた。

「えへん、カカ居たか?」

何様が来たかと、カカが急いで出てみると、
紋付に羽織と袴[はかま]を着けた役人様が、玄関に立っていた。

役人「カカ、迎えに来たぜ。
アンタの尻には、奇妙なイボがあるが、
殿様がご覧になりたいそうだから、使いで来た。
おれと一緒に殿様の所に行こう
(おまえのけつには、奇妙なイボがある。それを殿様が見たいと言うから、
使いに来たんだスケ、おれと一緒に殿様の所に行こう。)

カカ「尻なんかお見せするの嫌だから、
そんなことは嫌だ。
(おら、殿様に、けつなんか見せるの嫌だスケ、そっけなことは嫌だ。)

役人「殿様の言うこと、嫌だなんて言って行かねえと、
首、もがれるぞ。それでもいいか!
これは、大事だ、おれといっしょに殿様の所へ行って、
イボをご覧に入れろ
(こりゃ、おおごとだノシ!
おれと一緒に殿様の所へ行って、イボ見せろ。)

カカ「そんなこと。殿様の前で、お尻なんて見せられない。
(おら、そっけなこと、・・・殿様の前で、けつなんて見せられね。)

役人「それもそうだな。
おれが上手を言って、見せなくてもいいように計らってもいい。
(おれが見せねえように、上手言って来るがね。)

カカ「そうしてくださいな(そうしてくんなかい)

(喜んだのは、役人の方でした。
まんまと、カカが思うツボに入ってくれたからです。なぜでしょうか?)

名勝七つ釜(十日町市旧中里村)
名勝七つ釜(十日町市旧中里村)
写真提供:なかさと清津観光協会

役人「そんなら、おれにまず、ご馳走してくれないか?
(ゴッツオーしてくれ。)

カカ「役人様は、何が一番、ご馳走ですか?
(おめえ、何が一番ゴッツオーだ?)

役人「おれか? 油汁(けんちん汁)と、天ぷらがいいな」

カカ「そんなことなら、訳はありません。
少し待っていてくれれば、すぐ作りますから
(そっけんことなら、訳ねえ。一刻待ってくれ、すぐ作るスケ。)

カカが、料理を持って行くと、

役人「ああ、これは旨いな。
・・・仲間を応援に頼まなきゃなんねえ、おれ一人じゃダメだスケ」

そう言いながら、油汁と天ぷらを持って帰った。
カカは、難を逃れたとほっとした。

ところが、翌日。
また、アノ役人がやってきた。

役人「カカ、殿様にいくらお願いしても、言うことを
お聞入れくださらない。
どうしても尻を見たいとおっしゃる。
こりゃあ、たいへんなことだぞ
(言うことを聞かねえ。
どうでもおめえの、けつ見たいてガンだ。こりゃあ、おおごとだぞ。)

カカ「そこを役人様のお力で、うまくやってください
(そこをおまえ、何とか上手を言ってくんなかい。)

役人「人を頼んで、大勢で願ってみよう。
そうでもしなきゃだめだぞ。
こりゃあ、容易じゃねえぞ」

カカは、今日は、油汁と天ぷらに加えて
小豆マンマ(赤飯)を沢山作って、持たせてやった。
ああ、もうこれでおしまいかな、と安心してね。

何と、次の日の朝、また役人がやってきた。

役人「これは、容易なことじゃないぜ。カカ。
おれが殿様にいくらお願いしても、
いったん言いだしたら、お聞き入れくださらない
(カカ、カカ、こりゃあ、容易じゃねえぞ。
いくら頼んでも殿様は、いったん言い出したら、聞かねえよ。)

そうして、切り出したのは、
今日もまた、油汁と小豆マンマを沢山作ってくれ、
ということだった。

“毎日毎日、ご馳走ばかり、作らなくちゃいけない。
これは大変なことになった
(ゴッツオーばかり作らなくちゃならねえ、こりゃあ大ごとだな。)

と、カカはつぶやいた。

ちょうどその晩方、
隣のトッツア(おやじ)が、帰りがけに原っぱに来ると、
誰かが踊っているのが見えた。

“誰が踊っているのかな?”

と、コソンコソンと行って、 こうやって
(と、樋口の爺ちゃんは、手で額にひさしを作って)向こうを差し覗くと、
キツネのヤローが三匹、踊っていたんだ。

(この唄は、このあたりの盆踊りの歌詞だという。 樋口さんは、
座りこたつから、手だけを上げ下げして、この盆踊りを踊ってくれた。
若々しくきれいな声であった。)

♪さてもなや、ヤイこらしょ、
 ありゃりゃんりゃん、ちょいとすりゃ、
  あ~ああ、カカのケツのイボで、
   合の手:は~ア、よ~いのサッサ

♪小豆マンマに油汁食うて、よ~いやな、や~いとさ。
 コッケのなあ、やいこらしょ。
  ありゃりゃんりゃん、ちょいとすりゃ、
  あ~あ、いいことは、こたえられね。
   合の手:は~ア、よ~ほい、サッサ

昼間、隣のカカが言っていたことを思いだした。

・・・“毎日のように、役人が来て、
ゴッツオーうんとしなけりゃなんねえ。
小豆マンマに油汁を、毎日毎日、作るのは大ごとだ。”

さあて、このキツネのヤローどもの仕業だな!

カカの所に行って、

「殿様なんかじゃねえワ、キツネのヤローどもだ!」

カカはそれを聞くと、腹を立てて(肝焼いて)叫んだ。

「このチクショめ、ヤゴメカカ(後家)だと思って馬鹿にしやがって!
おれにも考えがある」

そうすると、次の日。
やってきたぞ。
一人じゃない、役人が三人も連れ立ってね。

カカ、愛想よく

「さあ、どうぞ。
おまえさま方には世話になって、本当に申し訳ねえ。
さあさ、入ってください」

ご馳走するから、いっとき待ってください、と言って待たせた。

中に役人を招き入れると、
戸、障子をピシャンピシャンと締め切って、
出られないように、桟[さん]を掛けた。
囲炉裏に、南蛮(とうがらし)をどんどん放り込んで、
南蛮に火をつけて、南蛮いぶしにかけた。

南蛮の煙がモロモロ、モロモロと部屋いっぱいになると、
化け役人どもはご馳走どころではなくなった。
喉だ、鼻だ、目だ、キュ~ッと南蛮が染みてどうしようもない。

とうとうキツネの正体を現してしまった。

外へ出ようにも、戸や障子に桟が掛かっていて、逃げられない。
あっちへバタバタ、こっちへバタバタ、
切ながって、ジタバタしていると、
隣のトト(おやじ)が棒を担いでやってきた。

片っ端から、叩いて捕まえたと。

いちげさっくり

スーちゃんのコメント



【語り部】 樋口倶吉さん(大正7年<1918年>3月生まれ)
語る樋口倶吉さん(89)と孫の良行クン(21)
語る樋口倶吉さん(89)と孫の良幸クン(21)
良幸クンは、興味シンシンで部屋を出たり入ったり。
【取材日】 2006年5月27日
【場 所】 樋口さんの自宅
【取 材】 藤井和子

語りが終って一息つくと、樋口さんはキツネの話をしてくれた。
キツネは、樋口さん宅の庭続きの畑までやってくる。
昔のキツネは、毛並が金色で美しかったが、
今は汚くなったらしい。

樋口さん「キツネは、クワイ、クワーイと鳴くよ」

スーは、びっくりして、コンコンではないですか、
と常識的なことを言ったが、実際は違うらしい。
悲しいかな、都会生活では、
キツネを目にしたこともなければ、鳴き声を耳にしたこともない。

むろん実際のキツネと昔話の中のキツネとは、
まったく別物である。
しかし、日本人の昔から伝わる伝統的なイメージに棲む狐は、
昔話に大きく反映している。

以前にデンバーでアメリカ人と(コロラド大学の院生だったが)
話したことがある。彼は、

“なぜ日本人は、狐を有難いものとして信仰するのか、
たかが動物ではないか、
日本人は動物を拝むのか?”

と、訝[いぶか]しんだ。
キツネに対する彼我の文化的ギャップを感じて、
まるで深い海の深淵を覗きみたような気がしたものだった。

日本人にとって狐は、
前に書いたように(秋田髪剃りキツネコメントを参照されたい)
稲荷神の使い奴[やっこ]とされている。
キツネが里に降りてきて出没し始めるのは、
田植えをする旧暦の春の頃であり、
稲刈りをする秋には、山に戻ってゆく。

稲や田圃の守り神の「田の神」と同じ頃に行動することから、
田の神と縁の深い「稲荷神」にとっても、
神奴とされるようになった。

キツネが単なる動物として扱われるならば、
主に肉食のキツネが、
油揚げと小豆マンマ(赤飯)を好むわけは理解出来ない。
民話の中では、つねにキツネの大好物は油揚げなのだ。
油揚げが食いたくて、キツネの持つピカ一の宝物、
“宝生の珠”と取り替えたトンマなのもいるくらいである。
(秋田「宝生の珠と作左衛門」)

キツネが稲荷神の神奴となっていることを本人(?)が、
どう思っているのかは分からないが、
蛇や河童や鬼とは、どだいステイタスが違う。
本篇でも、人の弱みにつけこんで、
好物の油揚げと小豆マンマ(赤飯)を毎日のように、ご馳走させる。
このずるくて、食い意地の張った役柄は、
蛇や河童や鬼のキャラクターでは、役不足であろう。

キツネが奴[やっこ]とはいえ、 稲荷神に取り入って
神奴という 独自の地位を築いた話も面白いが、

・・・おっとっと、ここはキツネが
これら2品の食物をなぜ好むか、でしたね。
これには日本古代からの狐信仰の歴史、
と深い関係があるようなのである。

陰陽五行説を駆使して、
稲荷信仰をめぐる狐を分析したのは、
1916生まれで、何と61歳で文学博士を取得した
吉野裕子氏である。それによると。

・・・中国思想の影響で、
普通の黄色い狐は、土の精とされていたが、
基本的に土克水(水を防ぐ力)を持つ“土の象徴”といわれた。

そもそも日本の古代王朝は、ぼく占で
国家の稲(食べ物)の作柄の出来不出来を占っていたが、
降雨量(特に大水や長雨)は作柄に影響するために、
国家的な重大関心事であった。
五行でいう「みずのと」や、子[ね]年には、
大水・長雨が出るとされて、いつも凶作となった。

従って、水をせき止める土(狐)は、有難い存在であった。

こんな時に、伊賀の国(三重県西部)から献上されたのが、
珍しい黒狐。

(黒いキツネの出生の可能性はあるのでしょうか。
伏見稲荷大社のお札は
白・黒狐一対の稲荷像だそうですが。
スーの若い友達は“見たいよオ!”と、身悶えするはずね。
スーだって見たいよお。)

この黒狐の霊力からか、陰陽五行説では、
大水が出る年だったにもかかわらず、
何事も起こらず、かえって豊作になった。
このことから、黒狐は、大水を抑止する力があるとされ、
黒狐を祝って大赦が実行された。

しばらくすると、今度は白狐が
遠江国(とおとうみ、静岡県)から献上された。
すでに、干支では水気の時代は去っていた。

白狐は、金属・貨幣・富や財を守るとされ、
白い狐が信仰の対象として、のし上がってきた。

(黒狐は、諦めて舞台の下手へ去ったのでしょうか!
何とも不思議な存在です。)

こういった千年以上に渡る文化的なキツネのイメージが、
現代の日本人の心に
連綿と刻まれているのは驚嘆すべきことだ。

(キツネを単なる動物と見る外国人に、 キチッと説明したかったな。)

ここでようやく、偏食気味の食べ物であるが、
彼らの食の好みが分かって来るというものだ。
吉野氏は言う。

赤飯の赤色は、土徳(土の精)の狐に生気を与え、
狐を養う色である。

油揚げの黄色は、土気の精の狐の力をサポート(支援)する。

「狐」吉野裕子著、法政大学出版局刊、1980)

現在、全国に4万もあるという稲荷神社の境内のキツネは、
石の材質そのままの白狐が多い。
稲荷を信仰して、
金運、財運、商売繁盛を祈る人が多いからか?
黒狐の霊力(大水を押さえる)に対する信仰は、
今や衰退したのであろうか。

(皆様! 黒狐の稲荷像を奉っている稲荷神社があれば、
ぜひご一報ください。)

モダンな稲荷像
モダンな稲荷像。戦災で丸焼けになったため、戦後に建立した。
(東京、中野新橋)

だから、神社の門前でかしこまって鎮座する稲荷像が、
青色だったり赤色だったり、
ましてやピンクの稲荷だったりしては、
ホント困るのよね。